今朝、珍しく父上殿から不在着信があり、
折り返すと 母上が電話にでました。
『昨日も 会ってたんだけど、今朝 おばあちゃんが亡くなったの。』
と 聞かされました。
お正月に 一緒に食事をして 昔話をしながら笑ってたので
信じられません。
でも 不思議と悲しくありませんでした。
人は 未練や やり残したことが多ければ
悔いが残り 悲しいのだと思います。
私は たくさんかわいがってもらいましたし、
甘えさせてもらいましたので
思い出も たくさんあります。
残念ではありますが 悲しいというより
ご苦労様でした、お疲れ様です、
という気持ちが大きいです。
御年 92歳、だったかな。。
母上の話では、昨日も一緒に遊びに行って
一緒にカフェでサンドイッチを食べて
自分で歩いて帰ってきて、
別れた後に 夜おやすみとメールが来ていた というのです。
病気でもなかったし、老衰でもなく、
今までと同じ生活をしていたのに
朝 冷たくなっていたそうです。
そばに誰もいないまま
一人で息を引き取ったので
だれかが 手を握ってというわけでなく
その意味ではすこし かわいそうですが
苦しまず 静かに逝くことができたことは よかったと思います。
入学や結婚みたいに 期日がわかることではなく
人の死は 突然なので 心がおおきく揺らぎます。
私の両親は 無理してお通夜やお葬式にこなくていい というのです。
ちょっと冷たい感じがしましたが、なんとなく 意味がわかりました。
故人(祖母)は、常々 『無理したらダメよ』という人だったので
たぶん、
『私のことはいいから、今生きているあなた自身の自分の生活を優先しなさい、
今 仕事とか 何かを犠牲にして駆けつけても 私、もう死んじゃったのよ。 』
と言いそうな感じがします。
この時代の人には珍しく 天真爛漫というか、人生を達観しているというか。。
それでいて どこか きゃぴきゃぴしたようなところもあって。。
もともと 非常にいいところの身分の人だったらしく
昔の『華族』に属する良家の出身だとかで、子供のころから何人も自分の周りに世話人がつき
育ての親は乳母さんだったようです。
自分の本当の母親とは2回しか会ったことがなかったそうです。(2回目は母親のお葬式だったそうです。)
『俺と結婚してくれないなら これを飲んで死んでやる!!』と
病院勤務していた祖父に 脅迫まがいのプロポーズをされ、
本当に死なれては困ると思って 駆け落ちして家を出て、
祖父と結婚したそうです。
『この人 本当に死ぬんじゃないかと思ったのよ~。面白かったわ。』
と 笑って聞かせてくれました。
後で わかったことなのですが、
祖母に結婚を迫った時、祖父が手に持っていた白い粉は 砂糖だったそうです。
そんな こんなで 92年を生きてこられて、本当にご苦労様と 思ってしまいます。
私が20歳くらいの時、霧のような小雨の中 外から戻ると
『ああ、傘もささずに 何てことしてるの。あなたの お母さん(自分の娘)に怒られてしまう。』と
祖母が慌てていたのを思い出します。
・・・これくらい どうということではないのに、本当にもともとお嬢様だったんだな、と思ったことがありました。
祖父が亡くなった次の日、祖母から連絡があり、
『ねぇ、足の爪が切れなくて困っているの。』と連絡があったそうです。
私の母上が、
『え?今までどうしてたの?』と 聞くと
『今まで お父さんに切ってもらっていたの。』
祖父が亡くなるまで、自分で爪を切ったことがなかったくらい
本物のお嬢様だったことがわかりました。私の母が祖母に爪切りの使い方を教えたそうです。
祖父も 脅しまでかけて結婚したのですから、
よっぽど好きだったんでしょうね。
祖父は文句も言わず 自分が死ぬまで 足だけでなく手の爪も切ってあげてたんでしょうね。
良家のお嬢様から一転、一般庶民の家に嫁いで 苦労も多かったと思います。
でも 私が見てきた祖母は いつもニコニコしていて 幸せそうでした。
お通夜や お葬式に行くと 棺桶のなかにいる祖母の顔を見ることになるので、
最後に見る祖母の顔で、いままで私の中に残っているニコニコした印象が
上書きされてしまうような気がして お通夜とお葬式に行くのは あまり気が進みません。
でも、私も大人ですから きちんとお別れしてこようと思います。
幸い、予約の合間を縫っていけそうなので、患者様にご迷惑にならないようにできそうです。
いずれ 自分にも順番が回ってくることですから
人の死を大切に受け止めていきたいと思います。